もうそろそろ、いやもう既にか? 日本は飽和社会といっていいと思うが、
飽和してしまったらどうすればいいのだろうかな。
もっと言えば、何のために生きるのか?
何を政策するのか?
何を新しく作るのか?
どのような状態を目指すのか?
SFCの提示する学生像に
問題発見解決型人間
というのがあるが、この単語自体にその飽和状態が如実に現れている気がしてならない。
発見しないと問題はないのか?
以前は、探さなくとも問題はごろごろ転がっていたわけで、
こんな表現は 「は?」
って感じだろう。
確かに時代の先端を行くなら、自分で問題を予見して動くくらいのことが必要なのかもしれないけど、私は、なんか無理して問題を搾り出そうとしてると感じるときもたまにある。
これからの時代は、20世紀にやってきたことのフォローという課題はあるけど、
たとえば、戦後に残された復興の継続、リサイクル、公害の改善、等等。
それとは別に考えると、何を新しくやるのか?
・・・・・・・遊び???
なのかな。
全てが整った環境があるとしたら、次にやるべきは遊びしかない気がするのだが。。。。
出来合いのもので遊ぶんじゃなく、自分で作って遊ぶとしたら、これは
芸術むしろカタカナでアート、そしてデザイン。
などになるのだろうか。
なくっても、生きてくには困らない、でも、あったらもっと楽しい。
ものづくり。 クリエイション。
うーーーーんんん。
またもやSFっぽい世界の想像が。。。
遊びとデザインか。 もう少し考えよう。