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□□□ Voices in a Vacuum □□□



ピカソ展 --- からだとエロス ---

今日は、友人Mと清澄白河という半蔵門線の僻地にある、しかしかなりクオンティティの高い美術館、東京都現代美術館に行ってきた。
現在、ピカソ展はもう一つどっかで開かれてるみたいだが、こっちはテーマを定めているのでまとまってる感がある。べつに、もう一つのほうは見てないのだけど、ピカソって、ころころ変わるから・・・。

彼の偉大なところは、一言で言うと、ああいう書き方を一番先にやったこと。だと思う。
影響を受けた、とかいって似たような絵を描くことは簡単で、多分自分も出来ると思う。
ただ、それは飽くまでも二番煎じ以下で、先日佐藤雅彦教授が言っていたように、
「作り方を作」らなきゃ駄目なんだな、と思った。佐藤さんは、「まねっこはいけません、まねっこは。」といっていたけど、オリジナリティの創出っていうのは、時代が進むにつれて難しくなっていくと思う。結局、どう既成のものを組み合わせるかでその人の個性が決まっていくようで、なんだか微妙な気持ち。・・・・・言語だって、別に自分だけの言語なんか他の人には通じないわけだし、パターン的に作っているだけなんだけどね。。。。。

で、特に印象に残ったのは、ピカソの抽象化の仕方で、(ってピカソ的テーマってほとんどこれだけど)高校のときやった受験問題から知ったのが、たとえば横顔と正面から見た顔がいっしょくたに一つの絵になってるじゃん? あれは、一つの視点から見ていない、ということらしい。遠近法による価値観を解体する、みたいな。 
で、実際に見て思ったのは、その解体したあとで、ピカソは自分なりにそれを組み替えたり新しくしたり再構成したりしてしまう。
シュルレアリスムに触れたけど、その真っ只中には行かなかったピカソ。
なんか、ミシン台とこうもり傘の「組み合わせ・出会い」から何かが生まれるっていうよりは、
わざわざそうやって組み合わせなくっても、自然にそのものが分解されて新しいものが生まれてくるって感じがする。
たとえば。
一緒に行った友達が「あ、これって共感できる~。歯ってこうでもいいんだよねー。」といっていた。
実際の歯の形を無視して、空洞の低い円柱型に線を入れて歯としている。
私は、上に書いたように、「あ、意図的に違う視点からかいたのだな」なんて思ったんだが、その友達の素直な感想に感心していました。
それから、果たして、抽象化しているのかどうか、と云うことを考えた。抽象化、ということは、さまざまな要素を取り除いて(普遍化して)いくということだと思うのだが、むしろ、彼は具現化しているのではないかと。実物の形や色から離れてはいくが、そのぶんそのものの本質には近づいていく感じ。視覚的に正確ではないが、心の中では限りなくそのものに近い。

あと、「交接」という連作があったのだが、それを見ると彼の頭ん中がよくわかった気がした。
何枚も、同じような構図でちょっと書き方を変えながらの変遷が続き、最後に「これ!」って感じの完成品が置いてある。その完成品、いままでの6~8枚の絵を見てこなかったらそれが「交接」だとはよもや分からない。
しかし! 過程を見てくると、はっきり分かるのである。
このことはちょっとした親発見だった。
なんにも見えない図になにか言葉を与えるととたんにその意味を帯びだすが、そのように言語の力に頼らなくともシリーズにすることで意味が与えられることがあるんだな、と思いました。

東京都現代美術館、まだ行ったことない人にはぜひオススメです。
特別展示に入ったら無料の常設展示もあるし。
地価にデザイン系のすごい蔵書の図書館があるし。(無料)
飽きません。
by girty_haraguchi | 2004-10-04 01:41
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□忘却予防□

by girty_haraguchi
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