□□□ Voices in a Vacuum □□□



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ことばがせかいをつくっていく。想像が創造を実現する~

概念を創造できるのは人間だけ。
私はこの「人間だけ」っていう口調は好かないが、
やっぱりこの能力は一人類として誇りに思う。
人間は大工仕事をしたり料理をしたり化学実験をしたりして
物質的にがんがん造っているのだが、
一方でさらにがんがん創っているのは目に見えない空想物であると思う。
クローンを造ることについて「神の領域だ」と批判されるが、しかし、
むしろ、概念の想像、やや曲解して言い換えれば芸術、の方が
神の所業に近いのじゃないか。

「言語とヒューマニティ」が面白い、と会う人々によく言っているのだが、
この授業で「自分もこれそういうふうに思ってたんだよな!」と共感することと、
自分の知らなかった考え方が出てきて興味深く思うことが両方あってほんとに
飽きることが無い。
そのなかで、前者の共感した最もたるところは
「言語における世界の構築」
であった。
授業のまとめをしても仕方ないので、
以下は、私が高校の頃さかんに浸っていた考え方。

私が「昨日、コンタクトを外すのを忘れて寝た」と言ったとする。
この場合、これは本当のことである。
で、「昨日、庭の土を掘っていたら自分の手までぼろぼろになって土と化してしまった」
というのはどうだろうか。嘘である。
ことばという共通次元の中で、実際に起こった(起こる)ことを描写することも、
実際には存在しない物事や行動、現象を作り出すことが出来る。
すごいと思わないか?
(普通に考えれば当たり前のことだが、私はそれに一人興奮していた。)
そういう意味で、私は芸術は人間のなすある意味もっとも必須的な行動ではないか
と思っていた。芸術といったって、なにもピカソやワーグナーのようなものを創らなくたっていい。自分で観念的に世界を創りだすという事は誰だって無意識に行っている。
私は、それを意識的にやるということを提案しているだけである。

自分は文芸同好会だったので、少量ではあるが、文章をつづることによって、単語を並べることによって、その創作の快感に浸っていた。自分と無関係の作品が書けないことに気づき、自分の(夜の)夢や詩や短歌とかを少し書いていた。
あくまで二次元の世界である。
文字の次には画像がある。画像の次には動画がある。それと並んで実写がある。
つまり、詩や小説があって、それに挿絵を描いたり漫画化したりしることがあって、そしてまた、脚本を演劇として表現し、演技を撮って動画として公開するテレビドラマや映画がある。

これはけして優劣の順ではない。         言葉の具現化。
抽象度合いの比較のつもりだ。    
抽象度合いと想像の自由度は反比例するのではないか。
正確なグラフが書けるなんて事はないが、まあ目安としては。
つまり、詩が一番記号性が高くて抽象度が高いのだが、読み手に想像の幅を与えてくれる。
一方、CGを駆使した映画などは非常に具体的で迫力満点だが、その分、個々の観客の想像の世界を展開することはほとんど許されない。
このように考えると、現在のどんどん本物に近くしていく競争もどうかと思われる。
たとえば、特に散文や詩や短歌などというものは、行間の世界というか、矛盾した言い方になるが、言葉にならない言葉(なにか)を表現できるものではないかと思う。
個人的には音という創造媒体(誇張しすぎだろうか・・・)に興味があって、
とにかく地球に振動を伝えてくれる空気という物質があってありがたいと思う。
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by girty_haraguchi | 2004-06-28 04:19

最近、なんだか良かったこと。

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今、ウィンドウ間違って閉じちゃってさっき書いた奴全部消えました。
悲しい。 こういう機械とのコミュニケーションのすれ違いって非常に虚しい。
自分の人生の一部分が無駄になって、その原因となった機械には何もこの怒りや落胆のくすぶりを理解して共感してもらえない。 

先日のろっけん内輪ライブのこと。
狭い部室に部員が満員電車状態でゆらゆらしてる図。
ギターの先輩が恍惚状態で、みんなはゆらゆらふわふわで。
自分はそういうのがなんだか嬉しくって一人でにやにやで。
その日は自分、MD返しただけなんだけど、ちょっと楽しかった。

猫が寝てたこと。
SFCとバス停の間のだらだら坂で猫が芝生とアスファルトの間にぶっ倒れていた。
首周りやら頭やらをいじくりこねくりまわしたが、だめ、目がいっちゃてて。
こいつ、意識溶けすぎだ、やべぇ。と思ったので記念に写真を撮った。
それでも起きない。 仕方なしにその猫とは別れたが、なんだか良かった。

特別教室で暖を取ること。
僕の情報技術基礎の席はかーなり寒い。寒い。誰か助けて。冷風直撃。
そんな毎週だったが、ついに本能で暖かい場所を探知した。
=PCなどの機器とそのコードが密集しているところ。
グループでくっつけている机の間。
そこに挟まってPCにあっためてもらうのって、なんだかすごくすごく良い。

このごろ、残留に関して意見を述べる人を良く見かける。
SFCのみんなは頑張りまくっている。
変な具合にとにかく頑張っている。
「俺、このごろ*時以前に寝たことねえかも♪ははは。」
「あたし、何日帰ってないんだろう。あー家が懐かしいなぁ。」
とか。
なんかまちがってないか、と思うが、それがここの青春の形であり、若さの結晶なのだろうな。 しょうがない。
僕は、残留はできることならしたくは無い。
前、一度だけやってしまったが、それだけで体調がおかしくなったし。
熱が出てだるくなってのどが痛くなった。
ただ、ほんとに自分が熱入れたいことが分かればいくらでも詰めたいかもしれない。
いっそのこと、隣接した寮があればいいのに。
あ、それだと本格的に隔離になってしまうか。世間から。都会から。

それから、
「お疲れ(さまです)~」という挨拶について。
高校ではそれほど頻出でなかったこの挨拶。
ほぼ日刊いとい新聞の大人語コーナーの多分筆頭に載っているであろうこの挨拶。
自分はあんまり好きではない。
え、別に疲れてなんかねぇよ。といっては御仕舞いなのでみんなそんな返答はまさかしないのだが、勿論僕もしないのだが、この挨拶の乱用、蔓延は嫌だ。
なんかやだ。なんでだろ。ちょっと他人行儀だからかな。
SFCの熱に浮かされた頑張りようと「お疲れ」は微妙なラインでつながっている様な気もいたします。
でも、帰り道、友達と別れる時、
「じゃあね」「じゃな」「バイバイ」「じゃ、また明日」
こういう他愛の無い挨拶を忘れたくない。

最後に少し楽しい言葉のメモ。
酩酊児。その子供が腹に宿るとき、その父親が酔っ払ってると酩酊児というものが生まれるらしい。詳細未明。
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by girty_haraguchi | 2004-06-27 03:16

空きっ腹に水って。

どういういみなんだろう、空きっ腹に水。
辞書をぱらぱら眺めていて思い浮かんだんですが、そのときは空きっ腹のページだったのかしら。
で、あ、これって
泣きっ面に蜂と焼け石に水と似てるって後で思って。 あとは響きのイメージ。
しかし、今見てみるとなんとも微妙なんだよなあ。 
ぼちぼち変えるかも。・・・・・・・・変えないかも。

今日は深夜にやろうと思って寝てしまって出来なかったデータ分析の課題を2限に3分の1くらいやって2限に提出して、部室で個人練習して、カフェテリア行って、体育でサッカーで、ろっけんの練習やって、帰ったのだった。
・・・・・こうやって一日を全てまとめるとデータに残って良いな。
昨日は、初めて自転車で学校に行くのでまず一苦労(おじさんとぶつかりそうになって、おじさんとのコミュニケーションが妙にうれしくて、そんなで気がそれて道を間違えた)で、記憶と想起についての国枝先生の話を聞き、フラ語で劇をやる話がせっぱつまててパトリスが48歳だと知って、ちゃい語で教科書を忘れて、うちに帰ったんだったかな。図書館とか寄って。
しかし、これって一応読んでるひとがいるらしいのでこういうのはうざいのかも。
いいかな。まあ、いっか。いいや、全然。

クラス体育が終結してしまうのは残念なんだよなあ。
秋からは予約制というスポーツクラブのような形式になってしまうので雰囲気希薄になりそう。体育やってるとスポーツ系のサークルとかも楽しそうだなあとか思うが、それは自分の単なる移り気でありましょう。でも、一週間に一度テニスできるようなテニサーだったら入りたい気もする。
今日のサッカーも普通に楽しかった。女子はなぜいつもボールに固まってしまうのか不思議だが、自分はずいぶん無駄に走った気もしたが普通に楽しかった。
が、なんだか対抗相手だったクラスの女子にやや嫌われてる(避けられてる)感があった。 なんなんだろ。
このごろ自分が鈍感だということに気づきだして、ちょっと困る時がある。
以前書いた気もするが、
一番困るのが、知り合いと知り合いが付き合ってた場合、それを雰囲気で察知できないとき。 何気に女子高出身だし、そういうのに疎くてこまる。将来いろんなことでこういう能力は必要とされるんだろう。もっと、困る。
この精神の未熟さはどうにもならないらしい。ま、いいや。放置。
でも、自分嫌われてるなっていうのは感じる頻度が高い。 
というのは、嫌ってるとかじゃなくてとっつきにくいとかそういうのだろうけど、そういうこと言ってる自分も自意識過剰の15歳のようでやや嫌気。

何気なく、日常的に、口元に微笑を浮かべられる人は素敵だ。
本当に。
電車から降りてきた人、スーパーですれ違った人などを見ていると、たまに本当にきれいな表情をしている人がいる。 人間として、塾バイトで接客の一種をやってる身として尊敬します、そういう人。
太宰に「正義と微笑」という本があって、それは、良い本でありますよ。
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by girty_haraguchi | 2004-06-25 02:01

夢見る少年の昼と夜

タイトルに特に意味は無いです。
というか、ただ今日読んでた文庫のタイトル。
福永武彦という作家の短編集で、死とか統合失調症気味な幻惑とか虚構の世界について、繊細に時にシュールに描いている。
これは短編集なのだが、「草の花」という自伝的長編小説のほうが自分はもっと好きだ。 書いていることは奇抜じゃないが、表現がいいと思う。こっちは繊細な恋愛。
しかし、この人の中で一等魅力なのは彼の美貌というか、奇貌というか。
写真載せようかと思ったけどそれってもしや肖像権侵害なのか?で、やめました。

まるで、ブログの「好きなもの」とかいうコーナー的なことを書いてしまった。
まあいいや。あとでコピペでもしよう。

昨日からあんまり人とまともに話していない気がする。
こういうとき、グルワ授業取っといたほうがよかったかもなあ、とか思ったりします。
必然的に会うことになるからね。
人と会うのは偶然か、必然か、にして欲しいと思ってる部分があって、
なぜ、人は理由もなく人と会うことが出来るのだろうとか思ったり。
文章が破綻気味だ。

昨日、台風がSFCにもやってきて、なんだかすべて不快だった。
1限にろっけん練習。で、次に早々と食事。3限カウンセリング。4限チャイ語。
ということで、ほとんど勉強はしなかったのか。
その後塾バイトに行って、また気分的には悪化。
4人ほどのグループに、書かせてきた論文をもとにしてディスカッションさせ、
その進行状態を舵取りする役目である、チェアパーソン(議長)という役職なのだが、
これがなかなか難しくて。
高校生にどんどん発言させるために良い仕方での質問を飛ばし、自分の意見はほとんどいれずに、しかし的確なアドバイスをする。
そして、なにより楽しい雰囲気作りが求められる。
マニュアルはなく、どんな風にやっても自由なのだが、その分その人それぞれの個性を押し出していくことが大事、らしい。
また、個性かよ。って。
結局、自分はその日個人的な意見をはさみすぎ、生徒みんなに話をふってあげられなく、そして、雰囲気作りもいまいち、という感じで、未熟さを痛感したのだった。
この仕事、向いてないのかなー。と、いうことは多分みんな思うことだろうから、やはり、精進したいと思います。
個人的に、仕事では自分の声が高めになることが腹立たしい。
はっきり聞こえるように喋るためにはしょうがないのだけど。

今日。
2限の現代政治論のレポートをその時間にメディアで書いて提出。
セーフだったが、またやっつけだったのでまた零点かもなあ。。。
そのあと表象文化論を聴講。
これもまた履修ミスで! なんで俺はこれ取らなかったんだろう!
と改めて思ってしまった。 
深沢七郎を扱ってて、前自分は読んだことあったから特に面白かった。
普段、この時間は国際社会と法で、欠席か睡眠しかしてません。
せめて聴講だけでもしてれば良かったぁっ。 
この何時間は無駄であったとか、この日は無駄であったとか、考えないほうがいいのかも知れないが、やはりどの時間も人生のひとかけらなわけだから、やっぱりそういう考えを完全に打ち消すことは出来ない。
そう。
もうすぐ大学生活の8分の1が終わろうとしている。
神経質かな。
でも、ほんと、もう人生の4分の1くらいは終わっちゃってるからね。
無意識の間にも。
やべえ!やべえ!やっっっべえぇぇぇ! 死ぬ!
自分は気づいたときにはもう17年使って生きていました。
実存主義の魅力と厳しさを垣間見た瞬間。
まあ、まだ30より先はイメージもつかないから先のことはなんともいえないけれども。

で、4限の現代文芸を途中で抜けて色々ぶらぶらして、帰って。
今に至る。
目下、デー分なんだが、なんでこうもデータが無いのだろう・・・?
ほんとは腐女子についての分析をしたかったのだが、アンケート取る時間がなくて。
でももうすぐアンケートするかもしれない。
(腐女子っていって普通意味通じるのかなあ。)
もしこれ読んでるガールの子がいましたら、覚悟しておいてください。
・・・・というか、課題から逃げすぎ。(死
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by girty_haraguchi | 2004-06-23 01:22

傘2

傘についてはもう少し現実味のある、世の中に役立ちそうなことも考えている。

デパート、スーパーその他の建物に入るときに入り口に用意されているビニール袋。
あの使い捨ての袋はどうにかならないものなのか??
無駄!無駄!無駄!
僕は無駄なことは極力削っていきたい。
本当に無駄なものならば。
特に、先日渋谷の東急本店に行ったとき強く思った。
普通よりいい素材のビニールを使っていて無駄に頑丈なのだ。

缶とか新聞、ペットボトルのようにリサイクルするのがいいかと最初思った。もうすでにやってるかもしれないですが。
次に、使い捨てで無いおしぼりとかダスキンのようにレンタル性にする方法も考えた。
が、今日思いついたのが現状では一番良い。
→傘にはカバーがついてるのが当たり前という風潮を作ること!
 折りたたみに当然カバーがついているように。
 すこし面倒は増えそうだが、確実に環境問題には良いと思われるんだけどなあ。
 デザイン的にも新しくなって新鮮かもしれないし。
 
 こういう案、どう思いますか?(だれか意見してくれると嬉しいです。)


今日は自転車を湘南台まで持っていってテスト走行してSFCまで行って、
ろっけんのライブをだらだら見てしまって、アルコールとハンバーガーをいただいてしまって、それからまた駅までテスト走行して帰った。
友達A子がマジで歌うまくてすごい。
今、湘南台の有隣堂がCD・文具半額セールやっててまんまと引っかかってしまった。
ジャミロクワイが290円くらいだった・・・・・。
マリリン・マンソンは1000円くらいのがあったな。

こうやってブログダイアリーをつけてると、自分の頭んなかをさらけ出しているようで
少し違和感があるが、こういうツールが出来てしまった以上、これは人間の進化の過程に必然的ものなのかもしれないと考える。
誇張しているのではなく、こうやって、一人で書いている文章をみんなが日常的に公開し、普段のその友達(など)の姿と結び付けて考えること。もしくは、まったく知らない人と、面識も無いのに深いところで通じ合うこと。
こういうことは手紙というツールで昔から実現されてきていて、個人HPがはやりだしたのももう10年位(もっと?)前なのだろうか、というほどだが、自分がいざ書いてみると
このツールの異常さがよく実感させられる。
自分はPCの前で一人だし、この春から自分は字を書くのが億劫になってしまってわざわざワードでたまに日記を書いていたので、ちょっとセーブをきかせながらもその続きのような感覚なので。
中学の頃日記をつけていたころ、日記を書くために生きているというようなやや錯綜した感覚にとらわれそうになったことがある。日常が空虚すぎるように感じられ、一方目覚めだした考える力で脳内が膨張していたのだと思う。
今はむしろ逆で。
今、何かを考えることを意識しないと、この脳はすかすかになってしまう気がする。
だから、自分が何か文章書くときはいつも思うのだけど、とにかく、「残しておきたい」って気持ちが強い。 
けちな性分だからだろうか。。。
あ、自分が大好きだからだ。
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by girty_haraguchi | 2004-06-20 02:03

自分は、傘という前時代的なツールをどうにかして現代的に未来的にその形態から存在から覆すべきだ!!
と、前々からそう思っていた。
だって、でかい葉っぱとかをさし掛けて雨をしのいでいた神話の時代から、素材は変われど機能的には何も変わっていない。
両手がふさがるし、その割りにぬれる。混雑してると迷惑であるし。
この話をしていて、僕の案に共感する者一名。レインコート派2名。
まず、新種の素材を誰かが開発することから始まる。
撥水性があって、透明なもの。これだけじゃあプラスチック、ビニール、ラップといったところか。
しかし、その素材には電気分解とか分子結合とかを激しく行ってもらいたいのだ。
すなわち、体のどこかにその素材が圧縮されているものを装着して、スイッチ一つで全身を覆うような仕組みを搭載する。
その素材はなんらかの分子レベルの性質でバリア的に水のみ跳ね返す。だから、全身をドームのようにそれで覆われていてもその人の肩に手を置いたり抱きしめたり混雑時にぶつかったりしても平気。
屋内に入るときなどはまたスイッチで収納する。

イメージできるだろうか。こんなんで。
こういう、日常的な自然災害をこのように拒絶してしまうのもやや抵抗を感じるが、非常にエキサイティングな空想ではある。
・・・・レインコートのかわいいデザインを、という案のほうが現実的なのは認めるけどね。

それから、今日は中島義道という哲学者のゲスト講演会に行ってきた。
高校1か2年のころに何冊かこの人の本を読んで共感して一冊ハードカバーで買ってしまっている。
自分自身を見えなくさせるもの、騒音、煩雑な人間関係、集団行動が大嫌いで、嫌いなものは嫌いと言う、家族を次々絶縁していくような自称変人。
「自分」についてごちゃごちゃ考えてしまう青年に大変受けが良い売れっ子作家。
自立、とくに親からの自立とかのテーマが中島氏の考えていることと
あるラインで共鳴してしまうのだと思う。
共鳴してわるいわけじゃないけど、そこ(中島本)でとまってはいけない。
一読して自分なりに考えるのはいいが、自分は認められたと素直に喜んじゃいけない。
氏は青年期を突破してその論を展開しているわけで、それと自分の青年期特有の悩みだのなんだのを一緒くたにしてはいかんと思う。
自分はほかとは違うのだ、というような辛口の実存主義みたいなのは誰にでもあると思うので、中学校で太宰治・高校で中島義道というのは結構いるんではないかなあ。
今日姿を拝見しましたら、案外お年でいらっしゃいました。
わたくしも質問したのだが、どうも面白くない質問だったらしい。

Q「先生はいろいろな人間関係を切り捨てているとのことですが、切り捨ててみると逆の人と接したいという気持ちは出てこないですか?淋しくないですか?」

A「うーん、通じないね。(略)と、いうことで、切り捨てきれないほど人間ははびこっているし、そこそこ病的なつながりとか編集者とか無名塾とかあるからいいのだ」
という感じでした。
俺が本当に聞きたかったのはその先の話だった。(質問で言いそびれたのです)
Q「全てを排除したとき(としたら)、先生は次に何をやりたいのですか?」というものだった。
なんだか、習慣・性格・手段(障害を取り除くこと)が全て目的化してるような気がして。。。むしろ、それが本当なのか?
専門はたしか、カントの時間論だったからそういう哲学者っぽいことやるのだろうか。
いや、哲学するというのは多々言われることだが文献を読むことじゃなく、自分や世界の仕組みなど諸々に対して思いをぐっとめぐらせることだから別に目的なんか無いのが本来なのかなあ。
人間は全て哲学してる。
僕自身、自分についてなんて腐るほど考えた気はしてるけど別にそれ自体に目的があるわけじゃない。自分についての答えなんてものは無い。  それは、分かってるよ。

じゃあ、哲学者の目的・夢・目標ってなんだろうか?



          ☆★☆YすKね、誕生日おめでとうございます☆★☆

もう昨日になってしまったが。      
        ふーん的な反応しかしなかったので改めて。             
                                     見てないだろうけどね。
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by girty_haraguchi | 2004-06-19 02:23

勉強しよう。

この前、「あぁ・・・・・自分、勉強しよう。」という心の声がどこからとも無く聞こえた。

そうです、もうそろそろ、勉強したくなってきた。
やっとか。
という怠慢ぶりだが、それは致し方ないと思う。
さっき友人Tの日記を読みましたが、
ほんと、自分もそういう無駄な頑張りが激しくて、疲労困憊したと感じる。
無駄な頑張りっていうのは、「良い」自分をそのコミュニティに売り込むという作業のことです。
まあ、キャラ(個性?)アピールと協調性のあわせ技。 とでも言おうか。
高校時代、自分はそんなにみんなと遊んだりたむろったりしない人間だったので、
春は、我ながら、結構がんばった。 と、思う。
クラスでも、サークルでも。
大学で孤立することだけは避けたいと思って。
その甲斐があったのと、みんながいい奴だったのでなんとか今生きているが、
これ以上不自然な自分広報活動はもういいな、と思う。
けして友達や知り合いが多いほうではないが、それでいい。
自然に自然に。

その春の狂乱がやっと静まってきて、やっと正常な思考回路が戻ってきたようだ。
この前の日記にも心情的なそういう回帰は書いたが、
もっとアカデミック(なはずの)自分も帰ってきてくれたようで。
なんで今まで思い出せなかったんだろう。
もう、この2ヶ月(以上)、どこに行ってたんだよ。

SFCにいると総合政策やら環境情報やらの雑音に常に惑わされる、
というか、私自身のあれもこれも的性格自体が障害となって、
履修科目やら日常的な行動が散漫になって仕方が無いのだが、
おちついて、本能のままに自分の好きな研究をせよ、と立ち返ってみると、
やはり私は人文色が強いのだ。
なによりそもそもの志望学部は社会学部なのだし。
サブカルとか、興味深いと思っている。
しかし、それでも、いろいろ経験することは重要なのであって。
そこのバランスが大変難しい。

学部長らは、この悪臭ただようキャンパスに大勢の迷える子羊が放し飼いになっていて大変危険なのを分かっているのかしら??

とりあえず、数量データ分析入門と現代政治論と言語とヒューマニティのレポートで
アカデミック原口になってみたいなあ。
これだけ言っといて実行できるかは瀬戸際ですが。
不言実行とか、できない性質なもので。


今日は体育終了後、直で帰宅しました。
で、やっと、本格的に自転車の練習ができた。たかだか40分だけど。
いやー、案外難しいもので、車が来たり自転車が向かってくるたびに降りたりしてたが
最後の頃には重心が定まってきて、片手離しても楽勝の運び。
ただ走ることだけ考えているのもなかなか楽しかった。
(そりゃ、もともと乗れるよ。でも6年くらいは乗ってないから小脳を呼び覚ましたのさ)

あと、KAD ACHORIというアーティストの不思議感漂うアルバムを買った。
「LIBERTE」という。
ジャジーなフレンチポップみたいな、ヒップホップ要素ありの、ラテンていうか、、、、
とにかく、包括的で力強いわりに完全にナチュラル。
そんな感じ。

ながくなるからこの続きは明日書こっかな。
メモ:芸術。文学。ネット。若手作家。アジカン。表現媒体の移り変わり。
   オタク。場所的コミュニティの変遷。表現の対象の欠如。感情の欠落。
   作り手、受け手の人数のバランス。(明治を考えてみよ)
   表現するということの日常化。その内情・内容の希薄化。
   しかして、新たな道はありやなしや?
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by girty_haraguchi | 2004-06-18 02:48

表現すること・創造すること

昨日、サークルの某ワークショップで演劇を体験してきた。
トレンディドラマの脚本で、まあ、オレンジで伊豆(・・・)とかいうドラマがあるようで、
それをやったのですが・・・

何かにぶち当たった感があった。

なにせ、トレンディドラマだから当然男女の恋愛というものがあるわけで、
わたくしは勿論女の子役をやりました。
・・・・だって、女の子だもん。
と、いう論理で演劇ってやるんだね。
演劇ながら、現実の厳しさにびびった夜でした。
自分のキャラ的にその役をアレンジする感じらしいが、女は女の役をやるのだ。
当たり前のことではある。
が、自分のように半端でまだぼんやりとした状態で生きてるものにしてみれば、
演劇というフィルターを通して現実を突きつけられたようなものだった。
現実だとそういうの、ごまかしてくのは大学ではまだ出来る。少なくとも幻想は見させてくれるのだが。。。
そろそろ自分でも決着つけないとなぁ。
あああ、なんで、この世界にはオスとメスが存在するんでしょうか。
自分は成長を拒否ってるだけ、って説もありまする。

先日LOVEについてほんの少しふれたらリアルワールドでYりんどーちゃんにトラックバックされてびびったー。
別に、実際に恋愛モードに入るって意味じゃなく、そういう打開策もあるなって話です。
他にまだ打開策は残ってるしね。(謎

持論である創作について書こうと思ったらもう子供は寝なくてはならぬ時間なのでもう寝ることにした。
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by girty_haraguchi | 2004-06-17 01:59

個人の存在

昨日はかなり心の向くまま書いた感がある。
そして、ずいぶん読みにくい書き方で書いてある。
一度、恥ずかしくなってリンク外したのですが、これしきのことで動じてはいかん。
と思い直して。
このような、昔には存在しなかった取り組みをするのは、ともかく実験です。
プライベートレベルとか、適当にやればいいか。
耐えて。
ただ、自分以外の人のことは
もらさないようにしないと。

今日。
アドグルという小規模な仲間の会に参加してきたのだが、なんとなく心が温まりました。
というのはきもいかもしれないが、ほんと、話してて楽な友達はありがたい。
このコミュニティに所属できて運が良かった。

一体、自分は気を張って喋ったりするのが苦手なんで、いわゆる飲み会系のノリにまずついていけない。まず、各々の個性アピール、売り込みが激しくて、その毒気にやられそうです。
あ、ちょっと言い過ぎた。
だからといって、ノンアルコールじゃなくてもいいのだが、もう少しみんな、おとなしくマイペースで飲んでもいいものだと思う。
今日、ノンアルコールでまったく疲れなかったのは、その成分のせいではなくて、その雰囲気のせいだったのかもしれない。

個性なんて、作ったり装ったり、発見したりするものじゃなく、もともとその人間にあるものであると私は思う。
違う人間は一人もいない。このことだけを、個性と呼ぶのではなかろうか。

新聞・本を読まなすぎでどんどん遅れてどんどん頭が沈滞していく気がする。
今日は「気狂いピエロ」と「機械(あれ、時計?)仕掛けのオレンジ」を少しずつ観た。
それも、時間的に、内容的に最後まで見てないため感想はかけない。

月曜にはカウンセリングを受けているのだが、その際も個性の話にもなって、なんと陳腐なとは思いながらも個性についてなどを考えた。
本当のところ、自分はもう物事を論理立てて考えるのをやめて
心のままに進んだ方がいい。
焦るのもやめて、諦めるのもやめて、等身大で向き合わなけらあ、ならぬのです。

毎日この調子のモノローグになるんだろうか。
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by girty_haraguchi | 2004-06-15 02:28

真空に浮かぶ(断片)

昨日、やっと自分は自分に立ち返った気がした。

地の底のほうに立ち尽くす自分に再び会った。
3,4年ぶりかもしれない。
いや、受験期にも会っていたか。

静かに、堂々巡りに、どうしようもなく考え続ける、論理を組み立てつづける、そして挙句の果てには自分自身まで突き放してしまう、自分の中心核に
透明で、誰もいない、真空空間で、ついに対面した。
覚めきった目。その目は、無情ながら、自分を落ち着かせてくれる。

一人。
じっ・・・・っと、沈滞の視線。

おととい残留したせいで軽く体の調子を悪くしたから、という理由だけではない。
受験期を通り越して、大学生活に突入して、ようやく少し慣れてきたといえるこの時期、
つまり、自分は、六月病にかかったのではあるまいか。
六月病・・・それは、、、心当たりがある人なら分かるんじゃないでしょうか。

個人個人、考えるところは違うだろうが、ともかく、自分の行動、自分の存在への強烈な自己批判、疑問。
毎日が流動的で、立ち止まる暇が無い。
あっても、立ち止まるのが怖くてずるずると無駄にあるいてしまう。

自分はここで何をしているのか。
いたずらに、このキャンパスの自由奔放カリキュラムに、
人間関係に翻弄されてはいかん、という自制。


自分には一人称というものが確定していない。
これはかなりの急所であって、一体自分自身どうしたらよいのかよくわかっていない。
こんな状態で日記など書くのは、本来危険極まりない。
しかし、記憶のために書き記しておいたほうが良いと思って。
少し昔から、忘れたくないことは書き置いておくくせがあった。
ただ、困るのが、これがウェブだということで、ある程度プライベートなことは控えなくてはならないことです。
ブレーキをかけながら文章書くのはちょっとした矛盾が起きる。

こうやって、自分の心の中を少しでも書き出したものを不特定多数に公開するっていうメディア媒体の誕生は、やはり人間社会に新たななにかを発生させそうな気がする。

ちなみに、一人称は、時々によって、という感じで全て心にうかんだまま使っていくことにします。文字媒体の上では。
これを読んでるのは何人いるか分かりませんが、読みづらいとは思いますが、そういうことです。

今日は、自転車を湘南台に持っていこうとしたら、まず自分の自転車乗りが下手すぎていかれなかった。まず、カーブがスムーズにできない。
それから、映画サークルの撮影に行く。スクリプター担当。
撮影終わって、みんなでピサをいただいた。お世辞ではなく旨かった。

もうそろそろ、まとまった作品を書いてもいい頃だと僕は思う。
ここらへんで自分を追い込んでいかないと、自分はかなり価値の低い人間に落ちてしまいそうで。
もう、いろいろな面で、自分の存在自体、やばいこのごろ。

そうだ、解決策が分かったのだった。
それは、LOVEです。恋をすれば、自分への視線はどうでもよくなり、
世界が明るくなる可能性があるのだった。

長い。。。。
わりあい、自分は思いついたことを他人に分かる範囲内でべらべらしゃべるので、
このスペースもかなりマイペースになりそうな予感がする。
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by girty_haraguchi | 2004-06-14 01:52


□忘却予防□
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