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□□□ Voices in a Vacuum □□□



・・・∞無限∞・・・ (かなり長い)

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この、無限について、は何度も消してしまって、もう何度目か良く分からない。。
それにしても、前回ややでかい話をぶった割りに、書こうと思っているのは、
ふつうに、思いつくままの観念論である。
でも、やっぱりこういう思いつくままの、漠然とした閃きは形に残しておきたい。

自分が中学生の頃、初めてのPNを←ZERO*MUGEN→とかいうものにしてしまったくらい(その時は無限と夢幻をかけていた)、自分は無限というイメージが好きだ。
このことは、前に少し書いた可能性のイメージや、宇宙のイメージとやや似ていて、結論としては可能性の概念と同じになってしまうかもしれない。

しかし、ほんとに自分にとって、ここは大事なところ。
他の人にとっても、きっと大事なところ。

数学の某H先生が無限大の説明をするとき「無限というのは現実の自然界には絶対存在しない、人間の頭の中、理論上でのみ存在するものだ」といっていた。
つまり、無限に広がっている宇宙や無限に小さくなっていく原子を計算することは出来るが、実際にはそのようなものは存在しない、ということだ。

<<不幸にも、人間は無限性・永遠性の概念を有している。>>

二つの現代文芸の課題は私にとっては根本は同じだった。
①「出家とその弟子」( )
←課題「若いときと年をとったときのさみしさは種類がちがう、とはどういう意味か」
②「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)
←課題「ジョバンニのいうかなしさはどういうことか」

①:作品中に「若いときのさみしさは対象で癒されるが年をとってからのは癒されない」というような台詞がある。対象、というのは大部分は恋愛だろうがあるいは仕事、趣味など、ともかくその人が自分の全身全霊を注げるものである。
私は、恋愛には疎いほうだが、自論としては、恋愛とは相手のことを思うことではなくして、あくまで自分のために行う行為だと思う。
小さい頃から思っていた。
みんな、「あなたが好き」なんではなく、「あなたが好きな私が好き」もしくは「あなたが好きな状態が好き」なんだろう、と。
実際、多分私は自分のことが一番好きだ。
そう、話を戻すと、愛情というものはなにかポジティブな力関係で生まれるものではなく、自分のなかにたまったさみしさを処理するために姿を変えてあふれ出てきたネガティブなものに違いない。(ただ、結果的にはポジティブな影響を与えるが)だから、若いうちは、それを注がせてくれる器(対象)があればそれですむ。しかし、年をとってその対象物がなんども変わったり、死んでしまったりしてその淋しさから変換した愛情の矛先が消失してしまっても、なお、淋しさは消えないということを知る。人間は計算的な頭脳の中のみならず、感情的にも無限を創出する。であるので、その無限の淋しさによる穴は現実には埋めきることができないのだ。

②:ジョバンニのかなしみは、やはり無限と現実の非無限性のギャップ、この場合は生死の次元においてに発生する。このとき、銀河鉄道に一緒にのっているカムパネルラがたまたま同席した女の子と話し出して、彼はかなしくなったという流れなのだが、彼を悲しませたのはその事自体ではなく、その「変化」というところにあったのだと思う。ジョバン二とカムパネルラはずっと一緒に話してずっと一緒に行く、はずだったのに、カムパネルラの注意が彼からそれた。安定していて永遠に続く、続いてほしいと思っていたものが不意に断絶した。そこに不安を感じたのは、そこになにかしら、死という最大の変化の片鱗を垣間見た、少なくともその可能性の存在を若干なりとも感じ取ったからではないか。ジョバンニはずっと銀河鉄道に乗っていたいと思う、また、小さい青い炎というものをじっと見つめると安心する、とある。これらは永遠性(無限性)のシンボルであり、彼はそれを通して現実では実現されない永遠性を見ているのだろう。


私自身、まだ無限の世界にいたいという気持ちがあって、それはすなわち現実を見ていないというところに通じるのだが、もう、現実界に入らなくてはならないのかな、とか思ったりする。
要するに、私は成長を拒んでいるだけだと思うときがあるのです。
バイトをするとき、塾なので、スーツを着なくてはならない。
スーツはさすがに性別がはっきり区別される。夏用にヒールのある靴まで買った。
男性用のスーツを着るわけにはいかない。中性なんて、現実にはありえない。
そんな無限性をもった人間はありえない。
(もちろん生物学的に中性のインターセクシャルという性別の人はいらっしゃいますが)
要するに、私は、女性になりたくないのだ。
じゃ、何になるの? そこで、私の思考は完全に停止してしまう。
本当に、論理で詰めてきても、そこからは私は何も考えられない。
と、いうよりは、考えたくないだけだ、きっと。
考えなくちゃ、と思ってるのに、考えられない。   
                                これは、どうすればいいの?


先日、夜の海に行きました。
なんだかなつかしくて楽しかった。
海に至近距離で近づいたのは、もう何年も昔のような気がしまして。
その時、缶コーヒーを手に持っていて、それを海に注いでしまっても良かったのだが、
この生き物のような海を自らの手で混合物にしてしまうのはなんだかためらわれて。

真っ黒い海は、
           吸い込んでいく光
   
をまるで惰性のように鈍く反射して、うん、吸った息を吐く、                                                      その過程の模倣。

その内に込めた光が質量を持っているかのようにうねりは緩慢に。バイオリズム。
          
               いつまでも。 反復。 いつまでも。
      
         これも一種の永遠性のシンボルではないかしらん。
やっぱり私も、
つかのまの、表層の、まやかしの、幸せなる永遠性を、夢見てやまないのだろうなぁ。

そう、シンボル、これについてのレポートを早く書かなくちゃ。
ああ、なんで日記までレポート化・・・?
でも、こういうレポートって楽しくないですかね。(笑
by girty_haraguchi | 2004-07-16 02:09
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□忘却予防□

by girty_haraguchi
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