「勉強しなくちゃ」っていう台詞って、まるで中学高校の学生みたいでまるで大学生らしくない。
やりたいことやらなきゃ意味ないでしょ。
強迫観念で勉強してるのってあまりに幼くない?
と、先々週くらいに言われたことがあって、
そういう発想からは抜け出したい、いや抜け出してるのかもしれないけど、やっぱり何を主軸としてどのように生活し、どのように学んでいったら、もっといえばあそんでいったらいいのか、ということが
私にはつかめなくて、
だから、結果として目の前の課題をクリアする、というところに落ち着いてしまうわけだけど、
やっぱりもっとマクロな視点(とかいってみる)があったほうが良いには違いない。
でも、やっぱり今しかこんなにいい環境で勉強できることはないんだから、悔いのないように勉強したい、ぼんやり過ごしてしまいたくない、という気持は有るの・・・です。
今日、研究会の発表をしてきました。
中国の(経済の、)社会保障についてです。
私は、高校のころの公民でさらっとやった以外の社会保障の知識を何も持たずに、いろいろ書物を借りまくって、すこしずつ読んでいたのだけど、最初はいいんだ、大まかに流れをつかむまでは・・・で、読んでいくにつれてだんだん混乱してくる。
自分が知りたいテーマからそれていったり、でもそこも面白かったり、でもつながりがわかんなかったりして・・・・・
つまり、細いじょうごにいっきにあふれるほどの水を流し込んでしまった状態のようになり、正直自分が満足できるレベルまで自分を持っていくことができなかった。
昨日、読んだはいいものの頭の中がまったくまとまらない状態で、研究会の先生に「どうしましょう。やばいです。できないかもしれません。」というようなメールを送ったところ、
「私も昔そうでした。まあ、大丈夫だからがんばってみなさい。」というような返事が返ってきて、
それを読んだとたんにすっと楽になった。ほんとに。
勉強するってこういうことなのかな。 とそのときなんとなく思いました。
とくに、sfcが掲げるスタイルとしての’勉強’。
レベル1から積み上げていって、だんだん難しいことに挑戦する、のではなく、
無理やりにでもやりたいことのレベルを下げずに頑張り、その期限までにたとえ到達できなくとも成果は残るし、次にやるべきこともきまる。
新しい分野を勉強しだした知識がないのは当たり前で、そこで苦労するのも当たり前、
特別自分が劣っているからではない。
そこでへこんでいたらどうしようもないでしょ。って思う。
やりたくてやっている勉強は楽しいはず。締め切りなどで苦しくても、そこで「自分は駄目だ」という負の感情に支配されない限りある一定の良いテンションでえぐれるはず。
友人が書いてた記事に誘発されてあつく書いてしまいました。
もしかしたら彼が書いている意味とは微妙にずれているかもしれないけど・・・。
「今の自分を一回完全に認めてしまうのがおれはいいと思う。
どんな自分でも。」
勝手に引用してしまったけど。
お互い様と云うことで・・・。
もうすぐ7月。
ってことにあっという間になるよね、きっと。